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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)4327号 判決

原告 甲野太郎

被告 乙山春夫

右訴訟代理人弁護士 木村峻郎

右同 緒方泉

主文

一  被告は、原告に対し、金三〇万円及びこれに対する昭和六一年四月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを十分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六一年四月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四八年四月に東京弁護士会に登録をした弁護士である。

2  被告は、昭和六〇年九月一八日、東京弁護士会に対し原告の懲戒の申立てをした。

右懲戒の申立ては、被告が訴外丙川松夫(以下「丙川」という。)に賃貸していた別紙物件目録記載の家屋(以下「本件店舗」という。)の明渡しをめぐる紛争について丙川が原告に事件処理を依頼したことに関してされたものである。

3  2の被告と丙川との間の紛争の経過は次のとおりである。

(一) 丙川は、昭和五五年一一月一日、被告の母である乙山タケから本件店舗を次の条件で賃借した。

(1) 用途 日本そばの製造販売店

(2) 期間 昭和五五年一一月一日から昭和六〇年一〇月三一日までの五年間

(3) 家賃 一箇月金七万五、〇〇〇円

(4) 礼金 金一〇〇万円(賃貸人が取得する。)

(5) 保証金 金四〇〇万円(内金二〇〇万円については一年につき金四〇万円の割合で償却して賃貸人が取得し、残金二〇〇万円については一年につき金一〇万円の割合で償却し、本件店舗の明渡完了後賃借人に返還する。)

(二) 本件店舗はそれほど広くなく、便所もなかったので、丙川は、当初より乙山タケから本件店舗に隣接した裏側の部屋部分(約一二・五八平方メートル、以下「本件裏側部分」という。)の便所を使用すること、冷蔵庫、そば店の調理に使う材料、食器等を本件裏側部分に置くことの承諾を得て、そのように使用してきた。

乙山タケは、本件店舗の二階に居住していたので、丙川の本件裏側部分の使用状況を毎日のように見ていた。

(三) 乙山タケは、昭和五七年一月四日に死亡し、被告が相続により賃貸人の地位を承継した。

(四) 被告は、丙川に対し、昭和六〇年四月二〇日付けの内容証明郵便をもって、本件店舗が古くなって朽廃したので、期間満了日である昭和六〇年一〇月三一日以降は賃貸できない旨の更新拒絶の通知をする一方、和解契約書の案を作成して丙川に調印するように要求した。

右和解契約書の内容は次のとおりである。

(1) 本件店舗の賃貸借契約を合意解約する。

(2) 昭和六三年一〇月三一日まで本件店舗の明渡しを猶予する。

(3) 右猶予の期間中一箇月金一二万円の割合による損害金を支払う。明渡しを遅延したときは、一箇月金三〇万円の割合による損害金を支払う。

(4) 預託した保証金の返還以外丙川はいかなる名目によるも被告に対し金員の支払いを請求しない。

(五) しかし、本件店舗は、土台、柱もしっかりしており、腐蝕部分もなく、とても朽廃しているとは考えられず、また、本件店舗で営む日本そば店が丙川の生活の手段であること及び(四)の和解契約書の内容が一方的なものと思ったので、その頃、丙川はこの紛争の解決を原告に依頼し、原告は、被告に対し、賃貸借契約の更新の要望の通知を出した。

(六) 右更新の要望の通知を受けると、被告は、それまでは何も問題とされなかった丙川の本件裏側部分の使用に異議を述べ、道具類、冷蔵庫の撤去を内容証明郵便により要求してきた。

また、丙川とは面識のない新宿の丁原産業株式会社会長の戊田梅夫(以下「戊田」という。)が被告の長年の友人であると言って、「自分が仲介してあげる」とか「弁護士が間に入ると大金がかかる」旨を丙川に申し出て介入してきた。

(七) 被告は、丙川に対し、昭和六〇年九月四日付けの内容証明郵便をもって、本件裏側部分が倒壊の危険があるので取り壊し、その跡に子供部屋を建てるので道具類を撤去すること及び右取壊し及び新築を八王子市の訴外株式会社丁田に依頼したので、丙川との打合わせは同社がする旨を通知し、実際に株式会社丁田が子供部屋新築の打合わせのためと言って本件店舗に丙川を訪ねて、道具類を片づけるように要求した。

(八) 以上のような状況にあるため、丙川は、原告を代理人として、昭和六〇年九月三〇日、被告を相手として豊島簡易裁判所に対し借家権確認の調停を申立てたが(昭和六〇年(ユ)第一四一号)、同年一二月五日の第二回の調停期日に被告が出頭せず、調停成立の可能性が少ないため、同月六日、東京地方裁判所に借家権確認請求等の訴えを提起した(昭和六〇年(ワ)第一四八八一号)。

4  被告が作成し東京弁護士会に提出した懲戒申立書には懲戒の理由として次のとおり記載されている(被告を「甲」、原告を「乙」、丙川を「丙」として表示している。)。

(一) 「昭和六〇年七月初旬頃、甲の賃貸借していないところへ、いきなり甲の了解も得ず、丙の営業に使用すべく大型冷蔵庫を乙と丙は設置したのです。」

(二) 「しかしながら、乙は、聞くところによると『俺は依頼人の話は一〇〇パーセント信用する。』『現場は見る必要がない。』『居住権がある(賃貸していない右冷蔵庫の設置場所)』等、甲が法律にあまり精通していないとしても、右言動は『教養』も『品性』もかなぐり捨て、いたずらに事件の拡大を考えているとしか思慮できません。」

(三) 「甲と丙とは他にも多少の『トラブル』は確かにあります。しかしながら、乙が介入するまでは比較的『スムーズ』に話ができたものが、乙の介入により紛争が『エスカレート』し、遂には賃貸していないところまで乙の指示があったかどうかは別の問題としても、大型冷蔵庫を設置してしまうとは、明らかに不動産侵奪罪を構成するのではないかと考えます。右不動産侵奪罪に関して弁護士乙はなんらかの形で関与していた事、以上の経過で充分理解し得ることと思慮いたします。」

5  しかし、4に記載した懲戒申立書の内容は虚偽である。

4(一)の内容は、原告と丙川の全く使用権限のない本件裏側部分に大型冷蔵庫を無断で設置した旨の記載である。しかし、丙川は被告のいう大型冷蔵庫(正確には麺保冷庫である。)を新たに設置したものではない。丙川は本件店舗の内装工事をしたときから、同じ型の冷蔵庫を同じ場所に設置していた。その既存の冷蔵庫が故障したため、同じ大きさの新品の冷蔵庫と交換したにすぎない。丙川の使用状態に変化はない。

4(二)の内容は、原告が「教養」も「品性」もかなぐり棄てた、あたかも無法者のような言動をしたという記載である。しかし、原告はそこに記載されたような乱暴な言葉は誰に対しても使っていない。しかも、懲戒の申立てのされた昭和六〇年九月一八日以前には原告は被告に面会したこともなく、口頭や電話で話し合ったことも一切ない。ことさら原告を悪く心証づけるための虚偽の内容である。

4(三)の内容は、原告が紛争をエスカレートさせた旨及び丙川が不動産侵奪罪という犯罪行為を犯し、原告がその犯罪の共犯者という記載である。しかし、これが真実に反することは前3で主張した紛争の経過により明らかであり、原告をおとしめるため原告が犯罪の共犯者であることを何らの根拠もなく強調したものである。

6  また、被告は、昭和六〇年一二月二一日付の答弁書と題する書面を東京弁護士会に提出した。被告は、この書面をもって、懲戒申立遂行上の必要性を超えて次のようなただ原告の名誉を害するだけの著しく不適切な表現を使用し、しかも内容も虚偽の事実を記載した(原告を「被調査人」と表示している。)。

(一) 「被調査人のデタラメなデッチアゲ」

(二) 「被調査人が丙川に対して画策を計り本件拡大化を計らんとする狡猾な被調査人の陰謀があった」

(三) 「丙川本人はすでに被調査人の弁護士に洗脳され」

(四) 「いやがらせの目的をもって被調査人の勝手な言葉」

(五) 「被調査人はまったくの嘘つきの弁護士である」

(六) 「調停委員をして申立人に圧力をかけさせたのである。……自己の不正をこの様な手段を用いて正当化させんとする」

(七) 「『調停制度』を依頼人のためではなく、懲戒申立人に対し圧力を加える道具として利用する……。現在問題になっている『豊田商事』の弁護士と同じように弁護士の職業倫理の低下」

7  更に被告は、東京弁護士会に対し昭和六一年四月七日付の補充書と題する書面を提出したが、それには次のように記載されている。(原告を「被調査人」と表示している。)

(一) (被調査人が丙川を代理して借家権確認の調停を申し立て又は借家権確認等請求訴訟を提起したことは)「調停事件に名を借りて豊島簡易裁判所を利用し、懲戒申立てに圧力を加えんとする野望が失敗に終ったとみるや、『被告本人が出頭しないため調停続行が不可能』などと虚言を弄し、次は東京地方裁判所を利用し裁判の名を借りて右懲戒事件に圧力をかけんとする野望をもってしての裁判」

(二) 「被調査人は虚言及び甘言を弄し依頼人である丙川松夫氏に対し裁判所にて『偽証』させることまで考えているのではないか」

(三) 「(被調査人は)依頼人、簡易裁判所及び東京地方裁判所までも利用し自己の所業の隠蔽工作を計っている」

しかし原告が丙川の代理人として豊島簡易裁判所に対して借家権確認の調停を申し立てたとき、原告は被告が懲戒の申立てをしたことは知らなかったものであり、また、右調停又は訴訟を提起した経緯は前3のとおりであり、右各記載は全くの虚偽である。

8  以上のとおり、被告のした懲戒申立ての内容は真実に反するもので、原告に懲戒処分を受けさせる目的で虚偽の申告をしたものである。しかも被告は事実をことさら歪曲あるいは捏造し、原告があたかも無法者のような言動をし、更に他人間の紛争を拡大した旨を記載して弁護士である原告の社会的信用や名誉を著しく毀損し、また原告を侮辱したものであり、被告の行為は原告に対する不法行為を構成する。

被告がこれによって弁護士である原告に与えた精神的、財産的な損害は金五〇〇万円を下ることはありえない。

9  よって原告は、被告に対し、損害賠償として金五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六一年四月二〇日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認容

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  同3の(一)、(三)、(四)及び(八)の事実は認める。

同3の(二)、(五)及び(七)の事実は否認し又は争う。

同3の(六)の事実中それまで被告が丙川の本件裏側部分の使用を問題としていなかったとの点を否認しその余は認める。

3  同4の事実は認める。

4  同5は争う。

5  同8及び9は争う。

三  被告の主張

1  被告が懲戒申立書等に記載した事実は虚偽ではない。

(一) (大型冷蔵庫の無断設置、不動産侵奪罪に関する記載について)

丙川と乙山タケとの間に締結された本件店舗の賃貸借契約書には丙川に本件裏側部分の使用を認めることは何ら規定されておらず、丙川は賃借権を有するものではない。仮に乙山タケの承諾を得ていたとしてもそれは乙山タケの全くの好意によるものであり、その使用は、賃貸人たる被告側の事情が許す限りという限定付きのものである。

そもそも本件裏側部分は被告側が他の荷物を設置して支配している場所であり、占有は被告にある。それを丙川及び原告が被告からの撤去要求に対して「権利」を主張してこの部分の支配を主張するが如き行為は法的に許されるものではない。

したがって、被告が本件裏側部分の占有を奪われたとして「不動産侵奪罪を構成するのではないかと考えます」と述べることもむしろ当然といえるはずである。

(二) (原告が被告に乱暴な言動をしたとの記載について)

原告は、本件懲戒申立前には原告と被告とは面会したことも話をしたこともないにも拘わらず、原告が被告に「俺は依頼者のいうことは一〇〇パーセント信用する」等のことを言ったと記載していることを据えて虚偽の内容と主張する。

しかし、被告は、原告が丙川の代理人に就任した後は一切の交渉を戊田に委ねており、戊田において本件懲戒申立前に京王プラザホテル内の喫茶室で原告と面会して交渉している。そして戊田が原告に対し現場を見て丙川が冷蔵庫等を設置する権利を有するものか否かを確認して欲しい旨要請したのに対し、原告は現場を見る必要はないとしてその要請を断っている。したがって、戊田が被告の代理人として交渉している以上、被告が直接原告と面会等をした事実がないからといって虚偽の内容ということはできない。

(三) (原告が紛争を拡大化したとの記載について)

被告と丙川とは賃貸借契約の期間満了の直前まで明渡し交渉を行ない、和解案を書面化して調印する前段階まで至っていた。それにも拘らず、原告が丙川の代理人に就任するや否や、原告が冷蔵庫等の設置について被告に確認しあるいはその権利性を調査することなく一方的に、撤去する必要がないと主張して白紙撤回の紛争状態を生じさせたものであり、被告が法律の素人であるだけに原告に対し疑心暗鬼になり、感情的になることはやむを得ないものといえる。

(四) (原告が調停及び訴訟により本件懲戒申立てに圧力をかけたとの記載について)

原告が丙川の代理人として調停を申し立てたのは被告が本件懲戒申立てをしたことを原告において知らされた直後のことである。

また、被告が調停に出席できないため、代理人として戊田が出頭していたのであるから、法的に戊田が正式な代理人に就任できないとしても、話合いをして事件解決に努力すべきであるにもかかわらず、原告はそれを行っていない。そのため、被告が原告において調停や訴訟により圧力をかけるということを感じとることは、素人として無理からぬものである。

2  仮りに被告が懲戒申立書等に記載したことが虚偽であったとしても、これらは全て戊田から聞いた話によるものであり、被告としては紛争の相手方たる弁護士に事実確認を行うことはできないのであって、被告には過失がない。

むしろ、今日新聞報道を通じて弁護士の倫理が問われており、弁護士会もその是正に憂慮している現実にある。本件のような事案においては、被告が原告の態度につき疑問を持つ場合には懲戒申立てを行うほか他に方法がないのであるから、正当な権利行使である。

第三証拠《省略》

理由

一  当事者間に争いのない事実等

請求原因1、2、3の(一)、(三)、(四)及び(八)並びに4の事実は当事者間に争いがない。

請求原因6及び7の事実は、被告が東京弁護士会に提出した答弁書又は補充書と題する書面の記載内容が虚偽又は不適切であることを除き被告は明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。

二  本件裏側部分についての丙川の使用権限

《証拠省略》によれば、丙川が昭和五五年一一月一日、乙山タケと本件店舗の賃貸借契約を締結するについては丙川自身本件裏側部分(便所を除く。)の使用の必要性は感じておらず、勿論当事者間で丙川が本件裏側部分に立食そば屋を営むにつき必要な道具類等を置くような話は一切出ていないこと、したがって賃貸借契約書にも本件裏側部分の使用に関して何ら謳われておらず、賃料の取極めにおいても何らこれを考慮に入れていないこと、契約締結後本件店舗で立食そば屋を営むにつき必要な内装工事をする際本件店舗のみでは狭すぎると感じたので、丙川は、本件店舗の二階部分に居住していた乙山タケより本件裏側部分(ここには同人の所有物も置かれていた。)に冷蔵庫や道具類を置くことの承諾を得たこと、これにより賃料等賃貸借契約の条件が変更されたことはないことを認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実によれば、本件裏側部分は賃貸借契約の目的となっているものでなく、単に乙山タケの純然たる好意により事実上丙川が道具類等を置くことが認められていたにすぎないというべきである。したがって、丙川は、所有者である乙山タケ(同人死亡後は被告)からの要求がある限り道具類等を撤去し本件裏側部分を明け渡すべき義務を負っているのであり、本件店舗の賃貸借契約が存続する限り丙川において所有者の意思に反してでもその使用を継続することができるというものではないというべきである。

三  本件懲戒申立ての経緯

《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  被告から本件店舗の賃貸借契約期間満了後の明渡しの要求を受けた丙川は、条件次第ではこれに応じてもよいと思っていたが、被告から調印を求められた和解契約書の内容が一方的であったことと、同じく被告が他に賃貸していた本件店舗の隣の店舗の明渡し問題で暴力団が介入したという話を耳にしていたので、昭和六〇年五月、原告に明渡問題の処理を依頼した。

そこで、原告は、丙川の意を受けて、同月一六日付けの書面をもって丙川は明渡しの要求には応じられない旨及び丙川より原告が委任を受けたので以後明渡問題については原告に連絡すべき旨を通知した。

2  被告は、丙川が明渡問題について原告に委任したことを知るや、その交渉を高校時代からの親友でありこのような問題の処理に詳しい戊田に委ねた。

それ以降、被告は、次のように戊田の用意した原稿に基づいて内容証明による通知書を作成して丙川に送付していた((一)ないし(四)はそのうち主要なものである。)

(一)  昭和六〇年六月四日差出しの内容証明郵便―被告は、本件店舗の所有者として、保安及び防犯上、本件店舗の合鍵を預りたい旨及び本件店舗の前のUCCコーヒー自動販売機が道路部分にかかっているのでこれを撤去すべき旨

(二)  昭和六〇年六月一一日差出しの内容証明郵便―本件裏側部分は丙川に賃貸していないので、そこに置いてある道具類を大至急取りかたづけるべき旨

(三)  昭和六〇年七月二五日差出しの内容証明郵便―丙川は最近本件裏側部分に新しい冷蔵庫を設置したが、これは不動産侵奪罪になるので冷蔵庫及び道具類を撤去すべき旨

(四)  昭和六〇年九月四日差出しの内容証明郵便―本件裏側部分が老朽化し倒壊の危険が生じたので取り壊し、跡地には子供部屋を建てる旨及びこの工事に関する丙川との打ち合わせは八王子市の株式会社丁田代表取締役乙田夏夫が行う旨

なお、(三)の内容証明郵便には本件裏側部分に丙川が新しく冷蔵庫を設置した旨記載されているが、これは、従来から本件裏側部分に設置していた冷蔵庫が故障したので丙川において同一の型の冷蔵庫を取り替えたにすぎず、本件裏側部分についての丙川の使用形態が変わったわけではない。

3  一方、被告より明渡問題の処理を頼まれた戊田は、丙川より原告の電話番号を聞いて、電話をかけて明渡しの交渉をしようとしたが、原告は戊田を正当な交渉の相手方とは認めなかったので、電話での交渉は何らの進展もみなかった。

4  戊田はそれまでの原告の態度を不満とし、被告に対し東京弁護士会に原告の懲戒申立てをすることを勧め、被告もこれに同意した。そして、戊田において原稿を作成し、被告においてこれをそのまま清書して昭和六〇年九月一八日付けで懲戒申立書を作成して東京弁護士会に提出した。

懲戒申立ての理由としては請求原因4(一)ないし(三)の事由が記載されている。

5  原告は、被告が丙川に対し2(四)の通知書を送付したことから、被告が本件裏側部分を実力で取り壊すことを懸念して、昭和六〇年九月三〇日、丙川を代理して被告を相手方として豊島簡易裁判所に借家権確認及び本件裏側部分使用妨害禁止の民事調停の申立てをした。

なお、この時点では、原告は被告から懲戒申立てを受けたことは知らない。原告がこの事実を知ったのは東京弁護士会が原告に懲戒申立ての調停開始通知を発送した同年一〇月八日以降のことである。

6  原告は、戊田の申出により、昭和六〇年一〇月四日、丙川とともに京王プラザホテルの喫茶室で戊田と会い(なお、被告は同席しなかったが、右喫茶室にいて様子を窺いながら待機していた。)、事態の解決のため交渉する機会をもったが、具体的には何らの進展を見られなかった。

7  豊島簡易裁判所における民事調停の第一回の期日が昭和六〇年一一月五日に開かれ、被告はこれに出頭した。その際調停委員は、原告から紛争の経緯を聞き、被告に対し、原告に対し懲戒の申立てをしていることについて誣告罪に該当するおそれもあるので慎重に行動するよう注意を促した。

同年一二月五日の第二回目の期日には被告は出頭せず、戊田が出頭して代理人の許可を求めたがこれが得られず、調停委員はかかる状況からして調停成立の見込みがないと判断して原告に対しその取下げを勧告した。

そこで原告は調停の申立てを取り下げるとともに翌六日、丙川を代理して東京地方裁判所に対し被告を相手として借家権確認及び本件裏側部分使用妨害禁止を求める訴訟を提起した(昭和六〇年(ワ)第一四八八一号)。

なお、右事件は、昭和六一年九月一二日、要旨次のような内容の裁判上の和解が成立して円満に解決している。

(一)  丙川と被告とは、同日本件店舗の賃貸借契約を合意解除し、丙川は昭和六五年九月三〇日限り、保証金一七〇万円の返還を受けるのと引換えに本件店舗を明渡す。

(二)  被告は、丙川に対し、本件店舗及び本件裏側部分を現状有姿のままで使用することを認める。

(三)  被告は、丙川に対し、和解成立の日から昭和六五年九月三〇日まで本件店舗の使用損害金の支払義務を免除する。

8  被告は、戊田の原稿に基づき、昭和六〇年一二月二一日付けの答弁書と題する書面を作成してこれを東京弁護士会綱紀委員会に提出し、原告が同委員会に対して提出した答弁書について認否及び反論をした。

これには請求原因6(一)ないし(七)の記載がある。

9  被告は、更に戊田の原稿に基づいて昭和六一年四月七日の補充書と題する書面を作成して東京弁護士会綱紀委員会に提出し、懲戒申立ての理由の補充をした。

これには請求原因7(一)ないし(三)の記載がある。

なお、被告はその後も同様に昭和六一年五月付けの答弁書と題する書面を作成して同委員会に提出し、原告提出書面に対する認否及び反論をしている。

10  東京弁護士会綱紀委員会は、昭和六一年六月一九日、原告を懲戒手続に付さないことを相当とする旨の議決をした。

右議決は、被告が懲戒申立ての理由とした原告の非行である(一) 丙川の本件裏側部分について使用権限を主張したこと(二) いたずらに紛争の拡大化を図り、また調停又は訴訟を利用して被告のした懲戒申立てに圧力を加えたこと及び(三) 品位のない言動をとったことのいずれも理由がない((一)については丙川の説明に基づいて丙川に本件裏側部分の使用権限があると認識しそれを主張したとしても弁護士としての非行があったということはできず、(二)及び(三)についてはその事実を認めることができる証拠はないとしている。)としている。

四  そこで原告の主張する不法行為の成否について判断する。

1  懲戒申立書の請求原因4(一)の記載について

この記載は、昭和六〇年七月初旬頃、丙川と原告とが所有者である被告の了解を得ることなく不法に本件裏側部分に大型冷蔵庫を設置したというものである。

ところで、本件裏側部分は本件店舗の賃貸借契約締結後丙川が乙山タケから事実上使用を認められたものであること(ただし丙川の排他的使用ではない。)丙川の使用借権は強力なものではなく、所有者の要求がある限り明渡すべきものであることは前二で認定したとおりであり、また、前三2で認定したとおり、昭和六〇年六月には所有者である被告が丙川に本件裏側部分の明渡しを要求しているのであるから、仮りにその明渡しの要求の目的を本件店舗につき賃貸借契約期間満了時の明渡しを迫る手段とするところにあったとしても丙川は本件裏側部分の道具類等を撤去してこれを明渡すべき義務があったというべきである。前三2で認定したとおり丙川は従前から本件裏側部分に冷蔵庫を設置しており、被告が指適した冷蔵庫は、従前の次蔵庫が故障したため同一の場所に同じ大きさの新しい冷蔵庫を設置したにすぎないものであり、丙川の本件裏側部分の使用形態に変更を加えたものではない。しかし、既に所有者たる被告において本件裏側部分の明渡しを要求しているのであるから、丙川としては、速やかに本件裏側部分を明渡すべきであって、たとえ同一の大きさの冷蔵庫にせよ、新たにここに搬入することは相当な態度であったとは認められず、その意味で被告が丙川の行為に不満をもったことは充分理解し得る。しかし、丙川が新しい冷蔵庫を設置するについて原告が特に指図し又は弁護士として承諾を与える等によりこれに関与したことを認めることができる証拠はない。その意味においてこの記載は虚偽であるといわざるを得ない。

2  懲戒申立書の請求原因4(二)の記載について

請求原因4(二)の記載は、被告が他から聞いた原告の言動をそのように摘示しこれを批判するものである(したがって、原告が、被告は懲戒申立てをした昭和六〇年九月一八日以前は原告に直接会ったことも電話で話をしたこともないことを理由に右記載を虚偽と主張するのは失当である。)。そして、前三4で認定した事実からして、これは、被告が戊田から聞いた事実として記載していることを認めることができる。

そこで、原告が戊田に対し、前三3で認定した電話での交渉においてここに記載されているような乱暴な言動等をしたか否かについて判断する。(なお、被告は、原告と戊田とが京王プラザホテルの喫茶室で会った際の原告の言動を摘示したものであるとの主張をするが、前三6で認定したとおり、右会見が行われたのは懲戒申立てがされた後の昭和六〇年一〇月四日のことであるから、この主張は理由がない。)

原告が戊田に対し「俺」という言葉(この言葉は弁護士が使うにしては品位に欠けると認められる。)を使用したことを認めることのできる証拠はない。

また、原告が「依頼人の話は一〇〇パーセント信用する。」という発言(これは、真実を探究して社会的正義の実現を図るべき弁護士の職責からすると妥当を欠く発言と認められる。)及び「現場は見る必要がない。」という発言をしたことを認めることのできる証拠はない。

次に丙川の本件裏側部分の使用につき「居住権がある。」旨発言した旨の記載について検討するに、《証拠省略》によれば、原告は、丙川の説明に基づき、丙川は本件裏側部分につき本件店舗の賃貸借契約と一体となる使用権限を有していると判断していたことを認めることができ、このことからすると、原告が戊田に対し、具体的用語はともかく、本件裏側部分につき丙川が被告の意に反しても使用できる使用権限を有している旨発言したことは充分推認できるところである。

しかし、前二認定のとおり、丙川は乙山タケの純然たる好意によって本件裏側部分の使用が認められていたに過ぎず、また前三2で認定したとおり乙山タケを相続した被告は丙川の本件裏側部分の使用について異議を述べ、道具類の撤去を要求していたのであるから、現時点で判断する限り、原告が本件裏側部分につき本件店舗の賃貸借契約と一体となっているような使用権限を主張したことは当を得たものではないとは言い得る。しかしまた、前二で認定したとおり、丙川が数年間にわたって立食そば屋の営業に必要な道具類を置くなどして本件裏側部分を使用してきており、また、本件店舗の明渡しの問題が起きるまでは乙山タケ及び被告から本件裏側部分の使用について異議を述べられたことのないことに照らせば、原告が丙川から事件の依頼を受けた当時、その説明に基づき、本件裏側部分について丙川に右のような使用権限があると判断してその旨を主張したことは弁護士として何ら非難に値いするものではなく、まして、被告が懲戒申立書に記載したように原告が教養も品性もかなぐり捨てていたずらに紛争の拡大化を図ったとも認められない。

したがって、かかる記載は、紛争の一方の当事者の不満の表明として理解することはできるものの、事実に基づかず、かつ不当に原告を侮辱するものであるというべきである。

3  懲戒申立書における請求原因4(三)の記載について

丙川が昭和六〇年七月に本件裏側部分に新しい冷蔵庫を設置した経緯は前三2で認定したとおりであり、丙川が不法領得の意思をもって本件裏側部分に対する被告の占有を排除したものと直ちにいうことができない以上丙川について不動産侵奪罪が成立するものではなく、まして丙川が右冷蔵庫を設置するにつき原告が指図し又は弁護士として承諾を与える等何らかの形で関与したことを認めることのできる証拠はない。

したがって、原告が不動産侵奪罪の共犯である旨の記載は虚偽であるといわざるを得ない。

4  答弁書と題する書面の記載(請求原因6)について

《証拠省略》によれば、答弁書と題する書面の記載のうち請求原因6(一)ないし(五)の記載は、原告が本件裏側部分についての丙川の使用権限を主張しまた紛争を拡大化したとする原告の非違行為を摘示するに際して用いられた表現であるが、前示のとおり原告に弁護士としての非違行為があるとは認められない上、これらの表現は、あまりに品位を欠き、侮辱的であり、弁護士に対する真面目な懲戒申立てであるか否か疑わしめるものであり、極めて不当なものといわざるを得ない。

請求原因6(六)及び(七)の記載すなわち原告が被告がした懲戒申立てに圧力を加えるために調停申立てをしたことを認めることができる証拠はない。これは全くの虚偽であるといわざるを得ない。

5  補充書と題する書面の記載(請求原因7)について

補充書と題する書面の記載すなわち原告が懲戒申立てに圧力を加えるために東京地方裁判所に借家権確認等の請求の訴えを提起し、また原告が右訴訟において丙川に偽証をさせることを考えていることを認めることのできる証拠はない。この記載も全くの虚偽であるといわざるを得ない。

6  被告の責任

以上のとおり、被告が懲戒申立ての理由として記載した原告の非違行為の存在はいずれも認められず、東京弁護士会綱紀委員会も当然のこととして原告を懲戒手続に付さないことを相当とする旨議決している。

ところで、弁護士会に対する弁護士の懲戒申立ては弁護士法上認められた権利であり、単に懲戒申立てが理由がなかったからといって、それだけで懲戒を申立てた行為が不法行為となるものではない。

しかし、本件の場合、被告は、戊田が用意した原稿をそのまま清書して懲戒申立書等を作成してこれを東京弁護士会に提出したものであって、その際、不合理な憶測に基づき記載されている原告の非違行為について何らその真偽等を確かめることもなく、また、侮辱的表現を改めることさえしていないのである。したがって、被告の行為は故意・過失に基づくもので違法というべきであり、被告はこれによって原告が被った損害を賠償する義務がある。

そこで原告の被った損害について判断するに、《証拠省略》によれば、原告は被告の虚偽あるいは侮辱的な懲戒申立てによってその名誉感情を害され精神的苦痛を被ったことが認められる。なお、原告は、これにより社会的信用を低下させられ、更に財産的損害(その具体的内容は明らかにしない。)をも被ったと主張するが、これを認めることのできる証拠はない。(被告が原告の懲戒申立てをした事実は東京弁護士会の役職者しか知り得ないはずである。)

そして、前認定の被告が懲戒申立てをするに至った経緯、懲戒申立ての理由として摘示された事実及び用いられた表現に《証拠省略》により認められるところの原告は何ら懲戒に付される危険性を感じなかった事実に照らせば、原告の精神的苦痛を慰藉すべき慰藉料としては金三〇万円をもって相当と認める。

五  結論

以上のとおり、原告の被告に対する本件請求は慰藉料として金三〇万円の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条及び第九二条本文を適用し、仮執行宣言は必要と認めずこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤修市)

〈以下省略〉

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